愚痴・憎まれ口・無駄口・世迷言・独断と偏見・屁理屈・その他言いたい放題



その30.≪なんでだろう?!なんでだろう?!≫


タイトルの唄(ギャグ?!又はコント?!)が大流行してる事は、皆さんよくご存知だと思いますが、考えてみると、こんなに無尽蔵にネタのあるギャグを考え出すとは、大したモンだと思います。幼い子供達にとっては、この世のありとあらゆる物が、「なんでだろう?!」の対象ですが、ヨ〜ク考えてみると、僕達イイ歳をした大人にとっても、この世は不思議な事だらけです。でも、一々不思議がってては仕事も勉強も家事もはかどらないので、余程引っかかる大問題でもない限り、なんとなく納得して生活してるのが実情じゃないでしょうか。

実際、世の中の全ての事を知り尽くして、納得した上じゃないと生きていけない訳でもないので、なんでもかんでも首をかしげて、頭がパニックになる必要はないと思います。でも、現在世の中で起こっている様々な問題や社会の歪みは、これまで僕達がさほど疑問に思わないで受け入れてきた事に、起因しているものが沢山あるような気がしてきて、敢えてここで取り上げてみた次第です。

若い頃、「何故自分は生まれて来たんだろう?!」「何の為に、どんな風に生きていけばいいんだろう?!」などと真剣に考えた事が、誰にでも一度や二度はあると思うんですが、大人になるに従って、段々そんな疑問は何処かに置き忘れてしまうようです。たまにそんな事を口にすると、「イイ歳をして、アイツは青臭い」とか、「変わった奴だ」とか言われてしまいます。これらの疑問は、一生掛けても真理に辿り着けるかどうかも分らないような大問題ですが、そういう問い掛けをいつも心の何処かに持ち続けているかいないかで、其の人自身の人生はおろか、家族や周囲の人達の人生までもが大きく変わってしまうという事を、自覚している人は少ないんじゃないでしょうか。

数年前に、筑紫哲也さんが司会をしたテレビのトーク番組で、ある青年が「どうして人を殺しちゃいけないの?」と発言して、多くの視聴者を唖然とさせた話は、先日BBSでも取り上げましたが、本当に問題なのは、その青年の発言内容ではなく、その問い掛けに確固たる信念を持って答えられる自信のある大人が、あまりにも少ないという現状ではないでしょうか。

この世の中には、多種多様な宗教や哲学があるんですから、答えは人によって様々でいいと思うんですが、「人を殺してはいけない」なんて事は、疑問を挟む余地もない当たり前の事だと、殆んどの人が思っているだけに、イザそんな風に面と向かって改めて質問されると、なんと答えていいのか言葉に窮する人が多い事は、容易に頷けます。

なんだか難しい話になってしまいましたけど、人の命にかかわるような大問題は勿論の事、「何故国家を愛さなきゃいけないの?」「何故年長者や先輩を敬わなきゃいけないの?」「何故嘘をついちゃいけないの?」「何故他人の物を盗んじゃいけないの?」「何故挨拶をしなきゃいけないの?」「何故学校に行かなきゃならないの?」「何故結婚しなくちゃいけないの?」「何故働かなくちゃいけないの?」「何故伝統を守らなきゃいけないの?」等々、当たり前の事として受け入れていた昔からの慣習や、日常の様々な決まり事についても、もう一度改めて問い直して、自分なりの答えを考えてみる事は、決して無駄な事ではないと思うんですが・・・皆さん、どう思われますか?!



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